平野神社地図

祭神 今木神、九度神、古開神、比賣神
本殿の建築様式を比翼春日造または、平野造りと呼ばれる。(重文)     
 しだれ桜他、数十種の桜が咲く。
平野神社の桜は京都で最も早い開花されるといわれる。4月10日には桜祭がおこなわれる。

 桜の名所として名高い平野神社は、もともと奈良の平城京に在った田村後宮という皇后の御殿

の中にあった。そして皇城(御所)や都の災いを鎮め守っていた。794年に奈良から京都へ都が遷
ったのと時を同じく今のこの地に鎮座した。つまり794年に桓武天皇の遷都と時を同じくして平安京
に遷った。

 こんな風に遷都と同時に神社ごと一緒に移ってきたのは沢山ある京都の神社の中でも平野神社
だけで、
宮廷と密接に関係を持っていた。広さは150メートル四方約8,000坪ある。
 平野神社では、四柱の神様をお祀りし、それぞれの神様を総合して『平野皇
大神(ひらのすめお
おかみ) 』と呼ぶ。
鬱蒼としたお社の森に囲まれている。
 もともとはもっともっと広く室町時代に建立された金閣寺
を含めた2キロ四方という広い範囲が
平野神社の境内であった。

 平安時代から鎌倉〜室町〜桃山〜江戸と公家社会から武家社会に移り行く歴史の流れの中、

平野神社の様子も随分と変ってきた。昭和になってからも西大路通を広くする為に西側が削られ、

今の大きさになった。

 江戸時代初期に再建された重要文化財の社殿を中心に京都御所から移築した御門や社務所
などがある。

 
   
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 本殿の平野造といわれる建築様式は、春日造の本殿を、第一殿と第二殿、第三殿と第四殿をそれぞれ二殿ずつ結び、
その左右両殿のあいだに横棟を渡して一間の「合の間」をつくり、三間にみせるもので比翼春日造(ひよくかすが)ともい
われる。 
 平安遷都にともなって大和国の各地から、今木神(いまきのかみ)、久度神(くどのかみ)、古開神(ふるあきのかみ)、
比賣神(ひめのかみ)の四神を遷座したものという。
  今木神
      外国から新しく来た神の意。桓武天皇の生母高野新笠の遠祖である百済国王の聖明王のこと。
      一説にはヤマトタケルノミコトのことで、
      源氏の氏神ともいう。
  久度神  
      聖明王の先祖の仇首王のこと。また、一説で仲哀天皇のことで平氏の氏神。
  古開神
      朝鮮王のこと。また、仁徳天皇のことで高階氏の氏神。
  比賣神
      以上の神を奉斎する女性のこと。また、天照大神で大江氏の氏神という。
 いずれも桓武天皇の外戚祖先にあたる神々であるという説が妥当とみられる。四神とも延喜式では名神大社の社格を
あたえられ、皇室のあつい尊崇をうけた。     



北野天満宮御旅所地図